欲望で世の中を切り取ります

欲望というモノサシを使うと、世の中の不条理が合目的であることが理解できます

取り止めがない話が多め『バカの壁』

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

昔めちゃくちゃ流行った本。養老先生は非常に賢い方だなーと本を読めば分かる。戦前は働かなくても喰えることを目指してたのに今ではホームレスは批判対象だ。このように「変わらない」と思う人間の価値観や考え方はドンドン変わる。変わることに気付き、あまり頭だけで考えすぎず、身体や共同体と連携して、その物事の意味を問い続ける必要があるという風に言いたいことを捉えた。

個性は生まれた時から与えられているものだ。個性より共通性を追求しろ

万物は流転する、ただし、「万物は流転する」という言葉(情報)は流転しない。グレゴールザムザは、変わらない人間と変わっていく情報という本来のあり方と逆に意識されるようになった現代社会の不条理を表す。

知るということは基本的には癌の告知だ。半年の命と言われれば、そこに咲いている桜の見え方が変わるはずだ。

考えるとは、脳の出力を入力にしてグルグル計算し続けること。神経細胞の維持という意味で役に立つ。

脳化社会の訪れにより、身体の使い方がわからない問題が大きい。オウム真理教が人を惹きつけたのも「神秘体験」で自分の身体と向き合ったからではないか。文武両道も、知ることと行うことは両輪あって意味があるという言葉だったのでは。

人生の意味は、自分で完結するものではなく社会との関係から生まれる。

脳に個性はない。むしろ身体のほうが個性的だ。

学問とは、生き物・人間などの万物を情報化する行為。いまの学生は、一旦、情報化されたものを処理するのは得意。

部下に会計を勉強しようとやる気にさせることができる!『「数字」が読めると年収がアップするって本当ですか?』

半分くらいまで読んだ時には、会計本のはずなのに、会計の話がほぼ出てこないのは何故だ?買う本を間違ったか?と思いました。正直にいうと、最後まで読んでも、会計の「知識」みたいなことはほぼ出てきません!

会計の問題ってそこじゃないです。会社員の殆どが、「自分と関係ない」と思って、勉強すらしようとしない(あるいは、上辺だけ、簿記の資格を取ったりする)ことが問題なのです。

自分の仕事の価値を知るには、大きな流れを知る必要があると思ってます。川の流れに例えると、まず、世界・日本の大きなお金の流れがあります。そこから、自分が所属する業界、自分の会社、自分の部、自分とお金が順ぐり流れてくるわけです。何処で、お金が流れにくくなっているのか、それを解消するにはどうしたら良いのかを考えるために、会計を勉強する意味はあると再確認しました。

つまり、自分の仕事、自分の周りのヒトの仕事をもっと好きになるために、会計を勉強するんです。この本は、会計のことを敢えて触れないことで、会計に一番大切なことに触れていると感じました。

以下、面白かった部分です。

車一台に対する利益はたくさんあっても、広告費にもたくさん回しているからなのよ。その分、売りやすくなるわけね。うちの場合は、広告費にかけていない分、売った人に還元するわけ。わかる?

歩合の割合がなぜ違うかについて、訪問販売型とマス広告利用型のビジネスモデルの違いから明快に書かれてます。
マス広告利用型は、早い話が、営業にそれほど大きなお金が流れないモデルな訳ですよね。その分、誰でもできるように設計されているわけだから、「一人で売りまくる」タイプより、「製造やマーケとうまくコミュニケーションして、安定した成績を作れる、自分みたいなタイプを量産するよう指導できる」タイプの方が重宝される、ひいては給料も上がるわけです。

G社は歩合が35%みたいですよ!
あー、あそこね。G社の商品売りやすいと思う?

同じ訪問販売型でも、歩合が違うのは、商品の特性によるわけですよね。売りにくい商品は、そりゃテクニックが多く必要だから、希少な人しかできないから歩合が高いわけです。

会社の利益に貢献すること、
もう一つが周りに感謝されること

のちに記載がありますが、損益分岐点を上回る売り上げを一人で作れないわけです。
だからこそ、個人としての売上アップだけではダメで、みんなの売上アップへの貢献も必要なわけです。精神論じゃなくて、数字の面から、周りに感謝されることが大事というメッセージが出てくるのが面白い。

どんな稼ぎ方をしたいかを知るには、収入・時間・人間関係の3つのバランスをどう取りたいかを考えるべき

自分がどんな稼ぎ方をしたいかももちろんだけど、事業としても「その商品は、ユーザをどんなふうに幸せにするのか?経費節約?時間節約?それとも人間関係が豊かになる?」と考えると、味わい深い。

例えば、Amazonは、徹底的に時間短縮を目指してるわけだ。
あれは素晴らしいことを疑う余地はない。でも、僕は、人間関係が豊かになるような仕組みを作りたいと思ってるから、街の本屋と連携しhontoを運営してる。これは、どんな稼ぎ方をしたいかという意思だ。

よし、来週、みんなにも、この本を勧めてみよう。

全てがその通りすぎる1冊『人生は、運よりも実力よりも勘違いさせる力で決まっている』

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

影響力の武器を現代の文脈に置き換えて語った本。

自分は、B2B大企業の初のネットB2Cベンチャーに勤めてて、大企業の中の人には、「ネットの精通人材(実際には、人が足りてないから何でもやってるだけ)」として、外には、「大企業ベンチャーのなんか凄い肩書きの人(積極的に面倒くさい領域を自分の領域にしてるだけ)」「リニューアルを遂行。価格インセンティブからの転換を果たし、ベンチャーを黒字転換させた(実際は、いろんなことのお陰で黒字転換した)」として、なんか凄そうと思われる錯覚を作り出し、レア感を演出してるのだと再確認。

具体的なやり口として参考になった部分だけ記載する。

  • 「実力→成果→錯覚資産→環境」「成果→錯覚資産」「成果→錯覚資産→環境」の3つがあり、3つのループにより成果は生まれる。
  • まず色々なことに小さく賭ける。たまたま成功してハロー効果を得られたら、そのハロー効果を使って、より良い環境を手に入れる。
  • 優秀だったやつはだいたい成功すると思っているのは、成功したという結果になるとその人間は昔から優秀だったと記憶が書き換えられ、無意識に脳の矛盾を解消してしまうから。
  • 自分で物事をコントロールしたいという欲求が人間には強い。だから運のお陰などを認めたくない。であれば、運の運用をコントロールすると思い込むべきだ。
  • ハロー効果を生むには、「あなたのこと(当該の成果)を思い浮かべる人の数×ハロー効果の強度」を高める必要あり。自分を思い浮かべてもらいやすくするためには、思い浮かべてもらいたい事柄とセットで自分を売り込むことが必要。
  • 認知的不協和理論により、「属性Xが必要、でも自分は持ってない」という状況に追い込まれると、ヒトは、属性xなんて必要じゃないと思い込み矛盾を解決する。勉強が苦手な奴が「勉強ができるやつは冷たい」という、ブサイクが「見た目じゃなくて中身が大切」と思う などなど。現実世界の敗者が自分の脳内で価値評価を捏造し、密かに復讐を遂げる。そうではなく、属性xを持ってる人を使えてるというマネジメントに回ればこの矛盾を解決した方が成功しやすい

世の中を観る目が変わる!『日本人のための憲法原論』

恥ずかしながら、憲法については「法律の王様」「実社会にはあまりリンクしない」くらいの認識しかなかった。後者については結果的にその通りだったんだけど、その背景をじっくり知ることができた。超おすすめ。

日本人のための憲法原論

日本人のための憲法原論

  • 国家はリバイアサンなので、取り締まるべきである。
    • 刑法は、殺人や窃盗を禁じているわけではなく、それを犯した人を裁く裁判官を縛るためのもの。
    • 刑事裁判とは、検察(行政権力)を裁く場であり、法に触れる捜査や手続き上のミスがあれば、被告側が勝つ仕組み(1000人の罪人を逃すとも、1人の無辜を刑するなかれ)
  • 憲法や議会は、国王と領主の交渉の中で生まれたものであり、民主主義とは関係ない。貨幣経済が広がる中で、国王の権力は強くなっていった(絶対王権の成立)
    • 当初、中世ヨーロッパでは、土地を支配する領主の取りまとめ役として王様がいたが、各領主との間で結ばれた「契約」と過去にあったという理由だけで全肯定される「伝統主義」に縛られていた。
    • 領主の立場が弱くなった一方で、商工業者と手を組んだ国王の力は増した。更なる税金をかけるうえで、領主との契約変更を効率的にやるために議会ができた。そんな国王にたいし、領主が「我々の既得権益と慣習法を踏みにじっている」と怒り、国王に新しく契約を迫った。これが、マグナカルタであり憲法
      • 十字軍がイスラム世界から持って帰って来た贅沢品が流通することで商工業者が生まれ、貨幣経済に転換。農奴の地代が生産量ではなく貨幣によって決まるようになり、豊かな農奴が現れるようになった。加えてペスト大流行で農奴が激減。領主の立場は弱まった。
      • 商工業者の安全を保障することと献金・融資をバーターに、国王は常備軍を持つようになった。
  • 「金を払えば救われる」と説くこれまでのキリスト教とことなり、予定説は「誰が救われるかわからない、でも少なくとも信仰をしている人の中から選ばれるだろう」という思想のため、熱心な信者を生む。その予定説は、「神の前では、国王も人民も大して変わらない(平等)」「もし神の御心にそぐわないのであれば、前例を翻しても良い(慣習法の否定)」という思想(民主主義)につながる。また、予定説は労働を美学としているため、利潤最大化の思想が生まれ、資本主義につながる。
  • 17世紀、ロックは「労働によって富は増えるものである」という概念を持っていたため、人間は刹那的にいきるのではなく、未来を考えて行動し、社会が必要になった際に、その権力を国家に任せたと捉えた(社会契約説)。国家に対する抵抗権と革命権の理論的根拠が生まれる。(ホッブスは、人間は限られた富を争うため、その争いを鎮めるために、国家権力が力を持つべきと説いた)
    • 信長は土地フェチシズムに気づいていた1人。茶会を頻繁に開いたり、千利休にルソン茶器を「侘び・寂び」などと価値をつけてもらう下準備をした。そのうえで、武功のある武将に「これは、ルソンから来た茶器である。ありがたく受け取れ」と言うと、受け取った武将側は「土地に換算したら何万石にもなる」と感謝感激した。
  • ロックの思想はアメリカ独立戦争に繋がる。
    • イギリスは、印紙税法なる法律を納税者の意見を聞かずに定めた。そのことへの「抵抗」として、イギリス政府を非難する宣言を出したり、役人などを襲ったものの、イギリスサイドは「税金が高いので文句を言っているんだろう」としか捉えなかったから、印紙税がダメなら貿易関税ならよいか?など懲りなかったため、最終的には、革命に至った。
  • ただし、アメリカ独立宣言や合衆国憲法にも民主主義という言葉は使わず、共和主義者と名乗っていたほどに「民主主義」はマイナスのイメージの言葉だった。
    • フランス革命の際に力を持つようになったロベスピエール。かれは、ルイ16世をギロチン台に送り、その後、反対派を追放することにも成功し独裁者になった。彼の主張は、「身分制をフランスから完全に追放してしまえ」というものであり、現代で言えば機会の平等ではなく結果の平等を求める「共産主義」にあたる。民主主義=ロベスピエールのイメージが強すぎた。
  • そもそも民主主義は独裁を生みやすい仕組みである。アメリカはそれが分かっているからこそ、大統領選出に国民の直接投票という手段をとっていない。

  • 平和主義憲法は日本の専売特許ではなく世界の3分の2の国が何らかの形で平和主義条項を持っている。加えて、平和主義を唱えていても、スイスのように常備軍持たずとも、すべての市民に防衛義務を課し、有事の時に連邦軍が編成国もある。「戦争もやむなし」という決意のみが戦争を防ぐ。
    • ドイツは、世界恐慌に加え、第一次世界大戦の賠償金で崩壊寸前。ヒトラーは、公共投資による有効需要創出(後の時代のケインズの理論)により不況から脱出させ、人民の支持を得た。次に、ベルサイユ条約の取り決めを一方的に破棄して再軍備と徴兵制度を復活させた。さらに国際連盟の管理下になっていたラインラントを強引にドイツ領に復帰させた。更に、フランスの国防計画の要でもあるズデーテンランドを要求する(ミュンヘン会議)。イギリスのチェンバレン首相は、絶対に戦争だけは起こしてはならないという思いから要求を飲んだ。
      • 景気が良い時は、始めに供給ありきのセイの法則(作った商品はすべて売れる)は成り立つが、恐慌時には成り立たない。ケインズは、公共投資(穴を掘って埋めればいい)をすれば景気は上向くと打ち立てた。すなわち、仮に国が1兆円の借金をして公共事業をしたとして、そのお金が順繰りに消費に波及する効果を見込むと5兆円の需要を生む(貰った金の8割を消費に回すとする=消費性向0.8)。ただし、消費性向が一定以上あるためには、利子率が2%を超えていることが重要。
    • ソ連フルシチョフは、キューバに核ミサイルを設置。その際、ケネディは「キューバのミサイル基地が撤去されなければ、ソ連からの攻撃とみなして、直ちに攻撃する」と一歩も引かない姿勢をとった。結果、ソ連が折れ、全面核戦争を免れた。
  • 日本ではキリスト教がなかったものの、明治政府が「労働は美学であるの象徴として、二宮金次郎を祀りあげる(教育)」「神からみれば人民は平等であるとして、天皇を現人神とする」「日本は神国である(どんなことをしようとも日本は栄える)」ことで、強制的に民主主義・資本主義への転換を果たす。
    • 本来は、全てから自由な存在である天皇を上手に縛るために、憲法においては、「皇室のご先祖に対して、天皇が誓う」形をとった。そのため、憲法とは権力を縛るものであるという意識はうまれなくなってしまった。
  • 田中角栄は役人の操縦を巧みに行い議員立法を26件も通したデモクラシーの体現者であったが、ロッキード事件の暗黒裁判によって、日本のデモクラシーとともに葬られた。
    • 日本の法廷は、ロッキード社のコーちゃん副社長に「贈賄罪や偽証罪で日本の検察が彼を起訴しないのであれば、証言する」というアメリカ的な刑事免責を許した。
    • 反対尋問を行わせなかった

アドラーすげぇな『人生に革命が起きる100の言葉』

アドラーの本は何冊か読んだが、エッセンスを下記の順番で理解を深めることにしている。

  • 全ての悩みは人間関係である。
    • 自分がどのようにありたいかを悩む際は、他者の存在が必須。仙人ですら、俗世界の人間と比較して清らかで優れていると自分を位置づけるために他者が必要。
  • 最終的に困るのは誰か/体験により相手は何を学ぶか、の観点で、「課題を分離」する。
    • 子供が約束を破ったら、罰を与えるのではなく結末を体験させる、さもないと親の課題のままである。
      • 叱るのではなく、「私は悲しい」と伝える。
  • 世の中のヒトは、自分の目的にしたがって生きている。
    • 世話好きな人は相手を自分に依存させたいだけ。
    • 悲しいから泣いているのではなく誰かに同情して欲しいから。
  • だから、思い通りの未来しか来ていないことを自覚し、今ここに注力する。
    • 遺伝もトラウマもあなたを支配してない。実は全てあなたが選択した未来がやってきている。
    • 自分の感情は、支配されるもののではなく、自分の状態を知るための材料として、利用するべき。
      • 例えば、廊下を歩いていた異性がクスっと笑ったのをみて、「バカにされた」と認知し、怒りという感情を感じる人もいれば、「自分を好きに違いない」とにんちし、喜びという感情を感じる人もいる。バカにされたと認知ことを自覚し、背景にある「自分は好かれるはずがない」という自己否定的なライフスタイル(性格)を修正するべきであり、認識を変えずに、排泄物として表に出て来た感情だけをマネジメントしてもしょうがない。
  • 何処に注力するかを考えるにあたり大切にすべきなのは、仲間の利益を大切にし、感謝する共同体感覚だ。それこそ自分が幸せになる唯一の解。(何故なら、その欠如が人間関係の悩みを生むからだ。最初に戻る)
    • 自分と違う意見を当たり前とおもって認めることから始めるべき。
    • 理不尽な上司に認めてもらう必要はない。より大きな共同体で認めてもらえばよい。

人間は現実からいつも目を背ける、でもその目の背け方が時代によって変わる『不可能性の時代』

不可能性の時代 (岩波新書)

不可能性の時代 (岩波新書)

現実は、反現実が規定されて、初めて、その逆としての現実が浮き彫りになる。その反現実ぷりは、理想→虚構→不可能と、その反現実さを増していってる。感じたのは、現実への逃避と極端な虚構化が進んだ結果、虚構と現実を区別しないようなモノが流行りつつあるということだ。その出自は現実を虚構化しようというもの(ノンアルコールビールテラスハウスなど)と、虚構を現実化しようというもの(バーチャルリアリティ)があり、それに取り組んでる人も技術もちがうけど、結果、山頂で交わりつつあるのが面白い。

  • 戦後から大阪万博のある1970年代までが理想の時代。敗戦後、アメリカという超越的他者の力を借りて「マイホーム」という概念が個人の理想として日本人に合意を得た
    • 当初、テレビは「買った」ではなく「やってきた」ものと捉えられたことからも、「超越した他者」の具体事例であることがうかがえる。1960年ごろまでに、力道山アメリカのレスラーを打ち負かすことをテレビでみた日本人は、アメリカへの極度な劣等感をなくし始めていた
    • 1960年代は理想の時代に軋みが訪れていた。砂の器人間の証明のように、「誰もが羨む成功を手にした主人公の前に、過去の秘密を知る来訪者(戦死者の代理人)が現れ事件が起きる」といった構造のストーリーが頻繁にあらわれる。これは、60年代の成功が戦争期に対して強い後ろめたさを感じている現れではないか(だから、このようなストーリーが流行った)
  • 虚構の時代は、高度消費社会。商品がその有用性から独立して、情報的差異によって消費されるようになる。ディズニーランドしかり、コピーライターしかり、オタクしかり。
  • 次の時代、不可能性の時代は、「現実への逃避」と「極端な虚構化」の両方が裏表のような関係で進んでいる。
    • 普段の生活では気の弱い男がサイバースペースでは激しく暴力的なことがよくある。どちらが本当の自分か?通常は、スクリーン上の暴力的な姿は虚構の姿と捉える。だが、内向的な男の仮面の下に隠れていた真の自己が現れ、他者に露出したとも捉えらえる。バーチャルリアリティなど、コミュニケーションの直接性が進んでいるきもする。
    • 他者と直接的に繋がりを求める(現実への逃避)ほど、他者の中の自分とは違う部分(他者を他者足らしめてる部分)が浮き彫りになり(極端な虚構化の結果)、苦しめる。求めているんだけど、嫌悪するという両義性。他者を嫌いになる理由は匂いというのも面白い。確かに、二次元には匂いはない。
      • Mによる連続幼女殺人事件は、自分が自分であった幸せだった幼い日の自分を幼女に投影し、関係の直接性を実感するわけだ。しばらくすると帰りたいなどMの意に反する自己主張(他者の他者部分)を始めると、幼女との甘い生活を引き裂かれたと感じて、殺してしまう。
      • カフェイン抜きコーヒーやノンアルコールビールなどは、他者性なしの他者の最たるものではないか。他者はほしい、ただし、他者ではない限りで。他者性なしの他者を求めると引きこもりになる。引きこもりは、関係性を求めていないのではなく、狂おしいほど求めているのである。
      • 恋愛もののアニメにおいて、幼馴染という設定が多いのは、生まれたときから近くに住み仲良くしているという宿命性が他者性なしの他者の典型的例ではないか。