欲望で世の中を切り取ります

欲望というモノサシを使うと、世の中の不条理が合目的であることが理解できます

世の中を観る目が変わる!『日本人のための憲法原論』

恥ずかしながら、憲法については「法律の王様」「実社会にはあまりリンクしない」くらいの認識しかなかった。後者については結果的にその通りだったんだけど、その背景をじっくり知ることができた。超おすすめ。

日本人のための憲法原論

日本人のための憲法原論

  • 国家はリバイアサンなので、取り締まるべきである。
    • 刑法は、殺人や窃盗を禁じているわけではなく、それを犯した人を裁く裁判官を縛るためのもの。
    • 刑事裁判とは、検察(行政権力)を裁く場であり、法に触れる捜査や手続き上のミスがあれば、被告側が勝つ仕組み(1000人の罪人を逃すとも、1人の無辜を刑するなかれ)
  • 憲法や議会は、国王と領主の交渉の中で生まれたものであり、民主主義とは関係ない。貨幣経済が広がる中で、国王の権力は強くなっていった(絶対王権の成立)
    • 当初、中世ヨーロッパでは、土地を支配する領主の取りまとめ役として王様がいたが、各領主との間で結ばれた「契約」と過去にあったという理由だけで全肯定される「伝統主義」に縛られていた。
    • 領主の立場が弱くなった一方で、商工業者と手を組んだ国王の力は増した。更なる税金をかけるうえで、領主との契約変更を効率的にやるために議会ができた。そんな国王にたいし、領主が「我々の既得権益と慣習法を踏みにじっている」と怒り、国王に新しく契約を迫った。これが、マグナカルタであり憲法
      • 十字軍がイスラム世界から持って帰って来た贅沢品が流通することで商工業者が生まれ、貨幣経済に転換。農奴の地代が生産量ではなく貨幣によって決まるようになり、豊かな農奴が現れるようになった。加えてペスト大流行で農奴が激減。領主の立場は弱まった。
      • 商工業者の安全を保障することと献金・融資をバーターに、国王は常備軍を持つようになった。
  • 「金を払えば救われる」と説くこれまでのキリスト教とことなり、予定説は「誰が救われるかわからない、でも少なくとも信仰をしている人の中から選ばれるだろう」という思想のため、熱心な信者を生む。その予定説は、「神の前では、国王も人民も大して変わらない(平等)」「もし神の御心にそぐわないのであれば、前例を翻しても良い(慣習法の否定)」という思想(民主主義)につながる。また、予定説は労働を美学としているため、利潤最大化の思想が生まれ、資本主義につながる。
  • 17世紀、ロックは「労働によって富は増えるものである」という概念を持っていたため、人間は刹那的にいきるのではなく、未来を考えて行動し、社会が必要になった際に、その権力を国家に任せたと捉えた(社会契約説)。国家に対する抵抗権と革命権の理論的根拠が生まれる。(ホッブスは、人間は限られた富を争うため、その争いを鎮めるために、国家権力が力を持つべきと説いた)
    • 信長は土地フェチシズムに気づいていた1人。茶会を頻繁に開いたり、千利休にルソン茶器を「侘び・寂び」などと価値をつけてもらう下準備をした。そのうえで、武功のある武将に「これは、ルソンから来た茶器である。ありがたく受け取れ」と言うと、受け取った武将側は「土地に換算したら何万石にもなる」と感謝感激した。
  • ロックの思想はアメリカ独立戦争に繋がる。
    • イギリスは、印紙税法なる法律を納税者の意見を聞かずに定めた。そのことへの「抵抗」として、イギリス政府を非難する宣言を出したり、役人などを襲ったものの、イギリスサイドは「税金が高いので文句を言っているんだろう」としか捉えなかったから、印紙税がダメなら貿易関税ならよいか?など懲りなかったため、最終的には、革命に至った。
  • ただし、アメリカ独立宣言や合衆国憲法にも民主主義という言葉は使わず、共和主義者と名乗っていたほどに「民主主義」はマイナスのイメージの言葉だった。
    • フランス革命の際に力を持つようになったロベスピエール。かれは、ルイ16世をギロチン台に送り、その後、反対派を追放することにも成功し独裁者になった。彼の主張は、「身分制をフランスから完全に追放してしまえ」というものであり、現代で言えば機会の平等ではなく結果の平等を求める「共産主義」にあたる。民主主義=ロベスピエールのイメージが強すぎた。
  • そもそも民主主義は独裁を生みやすい仕組みである。アメリカはそれが分かっているからこそ、大統領選出に国民の直接投票という手段をとっていない。

  • 平和主義憲法は日本の専売特許ではなく世界の3分の2の国が何らかの形で平和主義条項を持っている。加えて、平和主義を唱えていても、スイスのように常備軍持たずとも、すべての市民に防衛義務を課し、有事の時に連邦軍が編成国もある。「戦争もやむなし」という決意のみが戦争を防ぐ。
    • ドイツは、世界恐慌に加え、第一次世界大戦の賠償金で崩壊寸前。ヒトラーは、公共投資による有効需要創出(後の時代のケインズの理論)により不況から脱出させ、人民の支持を得た。次に、ベルサイユ条約の取り決めを一方的に破棄して再軍備と徴兵制度を復活させた。さらに国際連盟の管理下になっていたラインラントを強引にドイツ領に復帰させた。更に、フランスの国防計画の要でもあるズデーテンランドを要求する(ミュンヘン会議)。イギリスのチェンバレン首相は、絶対に戦争だけは起こしてはならないという思いから要求を飲んだ。
      • 景気が良い時は、始めに供給ありきのセイの法則(作った商品はすべて売れる)は成り立つが、恐慌時には成り立たない。ケインズは、公共投資(穴を掘って埋めればいい)をすれば景気は上向くと打ち立てた。すなわち、仮に国が1兆円の借金をして公共事業をしたとして、そのお金が順繰りに消費に波及する効果を見込むと5兆円の需要を生む(貰った金の8割を消費に回すとする=消費性向0.8)。ただし、消費性向が一定以上あるためには、利子率が2%を超えていることが重要。
    • ソ連フルシチョフは、キューバに核ミサイルを設置。その際、ケネディは「キューバのミサイル基地が撤去されなければ、ソ連からの攻撃とみなして、直ちに攻撃する」と一歩も引かない姿勢をとった。結果、ソ連が折れ、全面核戦争を免れた。
  • 日本ではキリスト教がなかったものの、明治政府が「労働は美学であるの象徴として、二宮金次郎を祀りあげる(教育)」「神からみれば人民は平等であるとして、天皇を現人神とする」「日本は神国である(どんなことをしようとも日本は栄える)」ことで、強制的に民主主義・資本主義への転換を果たす。
    • 本来は、全てから自由な存在である天皇を上手に縛るために、憲法においては、「皇室のご先祖に対して、天皇が誓う」形をとった。そのため、憲法とは権力を縛るものであるという意識はうまれなくなってしまった。
  • 田中角栄は役人の操縦を巧みに行い議員立法を26件も通したデモクラシーの体現者であったが、ロッキード事件の暗黒裁判によって、日本のデモクラシーとともに葬られた。
    • 日本の法廷は、ロッキード社のコーちゃん副社長に「贈賄罪や偽証罪で日本の検察が彼を起訴しないのであれば、証言する」というアメリカ的な刑事免責を許した。
    • 反対尋問を行わせなかった