欲望で世の中を切り取ります

欲望というモノサシを使うと、世の中の不条理が合目的であることが理解できます

天才編集者鳥嶋の漫画術との比較が面白い『荒木飛呂彦の漫画術』

コンテンツに携わるものとしては、面白いものを再現性高く生みだす方法に極めて興味がある。その点で、ジョジョの奇妙な冒険の著者「荒木氏」と、ドラゴンボールなどの大ヒットを生みだした編集者「鳥嶋氏」の漫画術の比較が非常に面白い。

すべての漫画家・漫画家志望必見、天才編集者鳥嶋が語る漫画の極意とは

1.キャラクターだけ立っていればよいのか?

鳥嶋氏はキャラクターの身近さであると説く。

そうね……言ってしまえば、「人間」を描けてるかどうかの一点に尽きるんだけどね。動物だろうが、ロボットだろうが、魔物だろうが、やっぱりキャラクターである以上は、本質的には“人間”なのよ。それがしっかりと描けていれば、「これは私だ」と読者に思わせられるんだよ。

「身近」に感じられるかどうかだね。

よく僕が新人漫画家に言うたとえ話があるんですよ――例えば、君が大好きだった女の子にデートの約束を取り付けて、その場所に急いでいたとする。そのとき、交通事故で倒れている人がいたら、どうするか。

知らない人だったら、きっと君は助けるかどうか迷うはず。

でも、それが自分の弟や妹、あるいは友達だったらどうするか。

たぶん、君は迷わず助けるんじゃないかな。そして、その君の判断は「身近」に思っているかどうかにかかっている。
「キャラクターを立てる」という事の本質は、ここに尽きるんだよ。キャラクターの「身近さ」を上手く作れているだけで、同じエピソードでも切迫度が一気に違う。

だから、ストーリーを作り込むことに血道を上げるのがいかに無駄かという話ですよ。その前に考えるべきは、身近に感じられる魅力的なキャラクターな んです。キャラクターさえしっかりしていれば、エピソードなんてどうとでもなる。というか、むしろエピソードなんて、そのキャラクターを際立たせるためのものでしかないんだよ。

一方で、荒木氏は、あくまでバランスであると説いてます。キャラクターだけ突出したパターンを否定するわけじゃないが、再現性がないと言いたいのでしょう。

キャラクター、世界観、ストーリー、テーマの4大要素が大切。サザエさんこち亀のようにキャラクターだけを突出させたり、AKIRAのように世界観だけを突出させることもできるが、真似できるものじゃない。

ただ、キャラクターの作り方においては、鳥嶋氏と近いことを言ってます。

読者の共感や興味を得る動機を作ってあげることだ。誰もが持っている醜い感情を開放させ、いわゆるきれいごとじゃない、人間の生々しい感情を描き、読者の共感を呼ぶ、悪のキャラクターを作れば、その漫画が傑作になる可能性が高まるでしょう。

キャラクターを作るときは、絵を描く前に、身上調査書を書く


2.描きたいものを書くべきか?

荒木氏は、世の中に迎合せず、自分の人生に沿ったものを描けと言う。

アナと雪の女王は、あの雪に閉ざされた白く寒い世界にしたことがヒットのポイントと踏んでいる。主人公の孤独な心というテーマが雪の世界で効果的に表現されていた。だからこそ、その凍えるような寒さと姉妹愛の温かさが際立った形で対比され、感動が生まれた。

テーマは、あくまで自分の人生に沿っているべき。自分が興味を持っていて、自分の心の深いところや人生に関わるものであれば、それが暗いテーマで売れそうにないと思えたとしても、それを描こうと決意すべき。ヒットするかどうかに重要なのは、必ずしも売れそうなテーマではない。

鳥嶋氏は、内面から湧き上がるものを描けという点では同じことを言っているが、「描きたい」と思うものはあこがれなので、やめろと言っている。同じことを言ってるが、鳥嶋氏の方が人間の心の弱さまで含めたアドバイスになっている。

作家には「描きたいもの」と「描けるもの」があるんだよ。そして、作家が「描きたいもの」は大体コピーなの。既製品の何かで、その人がそれまでの人生で憧れてきたものでしかない。

鳥山明さんであればアメコミっぽい作風だとか、そういうものが「描きたいもの」としてあったけど、そこからヒット作はやっぱり出てこないんです。実際、鳥山さん自身の「描きたいもの」は、申し訳ないけどつまらないんですよ(笑)。

そこに彼のボツの歴史があったんです。色々と彼はカッコいい絵柄の作品だとかを描いてきたけど、最後には「則巻千兵衛」というオッサンと「アラレちゃん」というメガネを掛けた女の子に行き着いた。でも、それこそが彼にしか描けないキャラクターだったんだね。そこに辿り着いたときに初めて、彼はヒット作家になった。

結局、ヒット作はその人の「描けるもの」からしか出てこないんです。それは作家の中にある価値観であり、その人間そのものと言ってもいい。これをいかに探させるかが大事で、そのために編集者は禅問答やカウンセリングのように色々なことを対話しながら、本人に気づかせていくんです。

すると、本人にしか出せないキャラクターが、まさに則巻千兵衛のようにポンと出てくる瞬間がある。ここにその作家の原点があるんだね。そして原点的なものは、まさに言葉本来の意味で「オリジン」(起源)なんです。「オリジナル」であることの真の意味とは、そういうことなんですよ。

3.ストーリーにリアリティは必要か?

鳥嶋氏は、リアルがないストーリーはダメだと説く。この意味は、現実ではありえないことを描くべきではないという意味だ。

「王道」なんてあるわけないじゃん。強いて言えば、そのとき流行ってるものが「王道」だよ。『バクマン』でもそんな話をしていたけど、あの作品は本当に世間に良くない影響を与えてると思うね(笑)。

「友情・努力・勝利」とか全く無意味ですね。あんなのはバカが言うことですよ。

もっと正確に言うと、「友情」と「勝利」は正しいんです。でも、「努力」は子どもは大嫌いなんです。実際、昔アンケートをしっかりと取った結果は「友情・勝利・健康」だったんだから(笑)。

だから、『ドラゴンボール』では「努力」はさせなかったんですよ。「修行しました」とは言うよ、でもあくまでも結果で見せていく。だって、「滝に打たれて修行する」とか、そんなバカな話が現実には意味ないことくらい、そりゃ今の子供は知ってるよ。そういうリアリティは普通に生きていれば、この情報時代に絶対にキャッチするからね。


荒木氏は、リアルなストーリーを追求すべきじゃないと言う。鳥嶋氏と意味合いが違うのは、現実の負の部分を書かなくてよいというニュアンスだ。

主人公は常にプラスであるべき。トーナメント制などはそれができる良いフォーマットである。キックアスの続編では、ヒットガールが普通の女の子に戻っている。見ているほうは、早くヒットガールに戻れよと思うし、これでは、マイナスプラスゼロであり感動を呼ばない。現実を考えれば常にプラスはありえないのだが、リアリティを追及する芸術作品でないならば、常にプラスを目指すべきだ。

この3年くらいで最もドックイヤーを付けた本『サピエンス全史』

この3年くらいで最もドックイヤーを付けた箇所が多い本です。
ずいぶんとブログは久しぶりですけど、この本を紹介するためだけに、久々に重い腰をあげたくらい。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

特に強烈に面白かった3つのポイントだけ記載する。

  • ネアンデルタール人のDNAは最大で4%程度しか含まれていない。これは認知革命により、ネアンデルタール人ホモサピエンスに入れ替わった証拠である。
    • 社会的動物である証拠の噂話も150人を超える集団では通用しない。それを超える集団を束ねるには、神話などの「虚構」が必要。それがあるからこそ、赤の他人とも協力することができた。加えて、その神話は即座に変更可能という点も重要。それにより、1対1では、ネアンデルタール人に敵わなかったとしても、数百人で何度も立ち向かって、「いつかは」勝てたのだ。
  • 知能があがって危険な狩猟採集民から安全な農耕民になったわけではない。贅沢の罠から抜け出せなくなっただけ。
    • 農耕民のほうが仕事はきついものの、多く働けば安定した暮らしを得られると思った。
    • 実際に、単位面積当たりの養える人が増えた。ただし、その分、子供が増え、一箇所で暮らすことになったために感染症に悩まされるようになり、財産が出来たためにそれを守るための争いも増えた。結果的に、新たな悩みが出てきただけで、幸せになったとは言いにくい
  • 近代は経済が発展しパイが拡大するということが信じられてなかった。だから、金貸しがいても高金利だった。人類は「科学」という武器を手に入れ、経済が発展しうるということを実感しだしたため、まだ存在していない財をお金に換えることに同意する「信用」に基づく経済活動がなりたつようになり、人類全体の資産が飛躍的に増加した。
    • Aさんの仕事の報酬100万円を銀行に預ける。銀行は、(預かった100万円を元手に)Bさんの起業に100万円融資する。BさんはAさんに仕事を頼み報酬として100万円を支払う。するとAさんの口座には200万円振り込まれていることになる。これは、Bさんの起業というまだ価値が生じていない未来に100万円投資をすることで、見掛け上、資産が増えることになる。

マーケティング化するコンテンツは何故ダメか?『ヒット番組に必要なことは全て映画に学んだ』吉川圭三

吉川さんは、テレビ番組を作る際に、他のテレビ番組は参考にしないとのこと。かわりに、映画や本や盗み聞きなどをヒントにしているそう。

この本でも、ただヒットした映画の上っ面だけを猿真似し、マーケティング化する映画を痛烈批判している。

我々、テレビマンもなにかを調べるときインターネットに頼りすぎていないかがきになる。インターネットだけの情報でテレビを制作していると実にテレビは疲弊する。足で調べて街に出て人間にあって図書館に行ってというのがテレビマンには必要な作業ではないか。また、個人的な体験を元に企画を作るというのもよいだろう

本当の傑作は見終わった後も終わらない。何か大切なおみやげをもらったような気分になる


我々もサイトリニューアルをする上で、本とは何か?本屋とは何か、どうあるべきか?を散々考えた。そういう根っこを考えると、自分たちにあった表現が生まれたし、それは、自然とアマゾンとは違うものになった。

その工程を踏まないで、猿真似ばかりすると、その一つ一つが辻褄が合わず、すごく薄っぺらなものに仕上がってしまうんだよね。

典型例がドラマの「そして誰もいなくなった」。設定こそ面白かったのに、密閉空間にいきなり閉じ込められるcube的演出や、無意味なカーチェイスが多くて、刺激は強いが後になにも残らない作品だった。

変わらないといけないけど、変わっちゃいけないこと

ku:nelのリニューアルは散々だったようだ。

『ku:nel』の苦戦と「SNSは緩慢な自殺なのか」問題【第85回】|すべてのニュースは賞味期限切れである|おぐらりゅうじ/速水健朗|cakes(ケイクス)

かつての雑誌は、アジア人でも「リセエンヌ」になれるとウソをついてくれるような存在だった。だけど、それを乗り越え、フランス人にならなくてもいいんだという答えを示したのが、かつての『ku:nel』だと。なのに、今度のリニューアルは、ここにきてもう一度、50歳で「フランス人」になろうと言い出してしまった。それはこれまでの人生の否定ということになる。

「ライフスタイル」なんてカタカナでは言い表せない、ガチの「暮らし」ですよ。もともと『ku:nel』って、エプロン姿も素敵よね、古い家具も味があっていいのよ、というような思想だったはずなんです。それこそ、手作りのフルーツゼリーこそが「宝石」で、決してクロムハーツではなかった。長く使う定番は、自分たちでせっせと裁縫した巾着袋で、フェンディのバッグじゃない。おばあちゃんの代からずっと実家にある和たんすを褒めてくれるのが『ku:nel』だったのに、パリの高級アンティークショップで売られている家具を紹介されても、いやそれ違うから、ってなるでしょう。


確かに、雑誌の売れ行きが芳しくない中で、購入商品を紙面に載せて広告費を稼がないといけないという裏事情があったのだろう。でも、なんで、ひらたくいうと、ここまで、「顧客ニーズを取り違えてしまった」んだろうか。

一方。Quickjapanのリニューアルは概ね評判がいいといわれている。これまで、モモクロなどのアイドル路線だったのに、奥田愛基が背表紙になるなど、パッと見は、むしろ、ku:nelより変わったように見える。

なぜ『Quick Japan』はSEALDs奥田愛基を表紙にしたのか? 新編集長・続木順平さんに聞く(1) - 新刊JP

リニューアルにあたり、『Quick Japan』の創刊号を読み返していたのですが、そこで初代編集長の赤田祐一さんが、「A VOICE OF NEW GENERATION」という言葉を使っていたんです。

「ジャーナリズム」ではなく「ニュー・ジャーナリズム」を本気で目指した雑誌を若い人に届けるんだ、そのためにはもっと現場に行って一緒に体験をしたり、同行したりして、彼らの声に耳を傾けて、自分の言葉でそのことを書かないといけないんだという内容なんですが、「これって今じゃん!」って(笑)。特に今は若い世代と上の世代との興味の対象がスパっと切れて、何をしているのかまったくわからない状態が増えている気がするので、そのあたりをちゃんと知りたい。でもそれがなくなってしまったのは、役割を担う人が減っているからなんじゃないかという想いもあって、この言葉を改めて提示しました。


これを読んで思ったのは、別に、政治色が強くなるとかアイドルを取り扱うとかそういうことじゃない。もっと根っこの部分のコンセプトをより純化させたのだ、その結果、取り扱う素材の幅は増えたけど、それでもQuickjapanらしさは保っている。だから、好評だったのでは?と思うのだ。

変わらないといけないけど、変わっちゃいけないリニューアル。
何を変えちゃいけなくて、何を変えないといけないのか。
僕は以下のように考える。

世の中に対しての向き合い方の角度(着眼点・視点のようなもの)は変わっちゃいけない。雑誌を当初作り上げた人々やその頃のファンがその雑誌に期待するものを理解&尊敬し、大切にしないといけない。ただ、その着眼点・視点で見る対象は、時代に合わせて変えたほうがいい。Quickjapanが奥田君を取り上げたように。

さて、僕もサービスリニューアルを頑張るとするか。
世間に問うてみるのが楽しみでしかたない。

投資家とコンセプトメーカーと執行役

僕は超大企業が作ったベンチャー(子会社)に勤めています。
社長は、その超大企業から来た人です。

この会社に勤めていると、以下のようなグチをこぼして、辞める人が多いんです。

  • うちの会社は、何処を目指しているのか分からない
  • 社長は、進む方針を示さない

確かに、通常は、「社長」というのは、その会社が何故存在するのかというWhyを定義する人であり、僕の定義だと、コンセプトメーカーです。そして、それを執行する役目が、社長以下の部長陣(執行役)の役割になるわけです。

でも、うちはそうじゃない。普通の会社じゃない。
超大企業の一員であり、その超大企業のポートフォリオの一つとして、このベンチャーを作ったわけです。
そして、そこから来た社長も同じ立ち位置です。失敗したら失敗したで、バッテンは付きますが、そういう経験をしたという価値は手に入ると心の底では思っていると思います。

その態度を、「やっぱり、大企業から来ている人だ、俺らのことは分かってない」という風に捉えて、自分たちのことを「守ってくれない」というスタンスを取っても、誰もハッピーではないです。

それより、投資家と思った方がいい。
お金をどんなWhy?に投資すれば、もっと増えてかえってくるかを考えている人です。

そう考えると、僕らは、執行役・ワーカーではなく、コンセプトワーカーになれるわけです。存分に夢を熱く語ることが、唯一の投資家に認められる道筋なわけです。それを放棄して、誰もきめてくれなーいっていうのは、そもそも、自分の置かれている環境すら理解していない愚物ということになります。

投資家と捉えると、うちの会社と社長は、超優良です。
5年も、赤字を許容してくれる。
親会社を動かすための、執行役・ワーカーとしても動いてくれる。
あるべきコンセプトをとても理解してくれるし、評価してくれる。

こう捉えると、とても楽になるですけどね。
みんな分かってないと思います。

資本主義のフレームってドラゴンボールと同じだな『資本主義の極意』佐藤優

この本で、政治経済について物事を考えるフレームワークを手に入れた気分です。


1.資本主義の起源には、労働力の商品化がある

まず始めに、貨幣で交換できる”商品”があることが出発点です。そして、自給自足で成り立つ経済ではなく、すべてのモノが貨幣で交換できる商品経済になった世界を、資本主義経済と言う。資本とは、カネの元手のことであり、ようは、元手があれば、勝手に廻っていく仕組みということだと思う。

では、自給自足経済と、商品経済を分けるものとは何か?というと、労働力が商品化したかどうかです。これは、「あさが来た」という朝ドラでも如実に表れている。両替商を行っていた江戸時代は、丁稚奉公と一緒に暮らしていたわけです。ファミリー、みんな一心同体なわけです。それが、銀行になってからは、給料を払い、別々に暮らすようになる。代わりに、格式が高い家の娘さんを優秀な社員として雇うことが出来るので、カネを稼ぐ、ため込む力が飛躍的に増えたといっていい。

2.労働力の商品化は、きっかけがあって起きる

労働力の商品化は、「身分的な制約や土地への拘束を離れて自由に移動できること」「自分の土地と生産手段を持っていないこと」という二重の自由があって成り立つ。イギリスでは、大寒波⇒毛糸の需要が高まる⇒地主が農民を追い出して羊を飼う(囲い込み)⇒都市に出てきて毛織物工場で働くという、いわゆるエンクロージャーが起きて、労働力の商品化が起こる。これを引き起こしたのは、大寒波という偶然に過ぎない。日本の場合は、まず、富国強兵を目指して、国家が主導して、税金をつぎ込んで、富岡製糸場のような、工場を建てる。ここで働いていたのは士族の子女であり、採算は度外視なわけで、資本主義的論理で物事は動いていない。それが、西南戦争をきっかけに、以下の2つのことが生じ、労働力の商品化が起こる。

  • 戦争をきっかけに財政難になり増税。税金を払えなくなった農民が土地を手放し、都市に流出する。
  • 国家が、工場を三井・三菱などの民間企業に払い下げる

3.資本主義原理論では、常に、恐慌か戦争かの二択を迫られる

サイクル(好況⇒労働力不足⇒賃上げ⇒利益低下⇒恐慌⇒イノベーション⇒好況)を通じ、労働力の商品化が拡大し、労働者・資本家・地主の3つの立場に完全に分かれていくというのが原理論だ。この原理論において、投資するカネはあるけど労働力が高すぎて投資しても利益が出ないときに、投資するカネが余ってしまう資本の余剰がポイント。

そのまま、恐慌に突っ込むか、それを回避するには、その資本を戦争に突っ込むというのが最大の政策です。安部政権がステルス戦闘機F35の部品輸出やオーストラリアの潜水艦の共同開発など、経済の軍事化を進めるのは、資本を処理する近道だからだ。

4.重化学工業が植民地政策を生む

重化学工業は設備投資に多くのおカネが必要であり、一人の投資家の資金でなんとかなるものではなくなるため、銀行からおカネを借りたり、株式を発行するということが起こる。借金や株式でおカネが作れるようになると、景気に左右されずに(好況だからいまのうちに設備投資しておこう 等)、イノベーション(生産設備の増強)が起こる。つまり、純粋なサイクルからは逸脱していく。

こうして巨大化した株式会社や銀行が、より多くの利益を求め、資本を輸出していく。それを国益ととらえる国が、植民地政策を展開するというのは、想像に難くない。

5.まとめ

なぜか、資本主義の話を聞いて、ドラゴンボールを思い出した。彼らが強くなるポイントは、二つ。強大な敵が現れること(=戦争)と、死に損なうこと(=恐慌)だ。

数年間修行しても、1.2倍くらいの強さにしかならないのだけど、ひとたび強大なサイヤ人という敵があらわれることで、昨日までの敵であるピッコロと手を組んで、10倍、20倍もの強さを手に入れるわけだ。つまり、強さ(=資本主義)を拡大していくには、外の存在が必要ということ。

また、カリン塔で、超神水を飲むことで、数倍の力を手に入れるエピソードがあるが、これは死ぬ寸前まで追い込み、それを克服することで、強さ(=資本主義)を拡大することを意味する。

◯◯放題=お金の絡む決断をしないですむ欲望

新婚旅行はメキシコに行きましたが、そのときのホテルのオールインクルーシブの素敵さを忘れません。ついつい、部屋で、色々オーダーしてしまいましたもん。


が、よく考えると、お腹は限界があるわけで、2人前も3人前も食べれません。結局、いつも食べる好きなものを食べてしまうのです。


値段も決して安いわけじゃないです。となると、何の欲望が掻き立てられるのか。それは、決断をしなくていいという快楽です。人は、何かを買うとき、値段を見て、買う価値があるかを常に検討しないといけません。食べ放題は、その決断を回避できるわけです。特に、お金が絡む決断は、疲れます。◯◯放題は、気兼ねなく選べるわけです。


最近、電子書籍の雑誌読み放題が流行ってます。これも同じロジックです。例えば、雑誌が800円として、そんな雑誌を月に平均3冊読む人は、他にも読み放題ならと、月額2500円なら買ってしまうわけです。


ところが、雑誌のように趣味が偏ってると実際は、他の雑誌をあまり読まず、また時には月に1冊しか読まないなんてことが多々あります。だから、儲かるわけです。


ちなみに、雑誌のような情報だといつでもきになるものにアクセスできる欲望も買ってるのかもしれないです。


ここが、漫画や、映画などの完全消費型コンテンツと違うところかなと思います。